最後の相場師「是川銀蔵」の残した格言


鉱山
是川銀蔵は是銀の愛称で親しまれ、最後の相場師として有名です。1981年の住友金属鉱山の株を買い占めて200億円の利益を得、1983年の高額納税者番付で1位になったことから一躍脚光を浴びることとなりました。
しかし、激動の時代を生きた彼の人生は波乱に満ちたもので、決して満ち足りたものではありませんでした。また、社会福祉事業にも力を入れていた銀蔵は株で得た利益は一銭も残さず、妻に遺した遺産は2LDKのマンションだけだったといいます。
ここでは是川銀蔵が残した格言から、彼の信念と人間味あふれる人生を紐解いていきます。投資の枠にとどまらず、人生について考えさせてくれる名言に出会えることでしょう。

是川銀蔵の名言

名言1

「相場の道、すなわち孤独に徹すること。」

銀蔵は相場の道は他人に惑わされない状況をつくることが大切だと考えていました。責任を全て自分自身で引受ける潔さが彼の信念に当てはまったのです。
株式投資は不特定多数との取引で、1人でも勝負することができます。自分の責任の範囲内で行うため、思惑が成功しても失敗しても誰にも迷惑をかけることがありません。また、いくら儲けても誰からも恨まれることはないと彼は自伝で明かしています。
銀蔵は投資を行う際の心得として投資五箇条を掲げています。まず、銘柄は人が奨めるものではなく自分で勉強して選ぶこと、次に二年後の経済の変化を自分で予測し大局観を持つことです。そして株価には妥当な水準があるため値上がり株の深追いは禁物とし、不測の事態などリスクは投資につきものと考えていました。最後に、株価は最終的に業績で決まるため腕力相場は敬遠するようにと記しています。
彼は資本主義には永遠の繁栄もなければ衰退もないと考え、大暴落があれば翌日は買いに転じ、買って売って休むを繰り返していました。1日1日が真剣勝負、失敗しても誰も助けてくれることはなく、運命は自分の努力で開拓していくものだと示しています。
自分の判断で一分一秒に全力で真剣勝負を行えば、勝っても負けても自分の責任です。そのため、どんな状況下でも瞬時に的確な判断ができるように心がけてきたと言います。人は相場とどう向き合うべきか、この言葉には大きな示唆が込められています。

名言2

「人生、のるかそるかの勝負の時があったら僕はやります。しかし、外れるような危なっかしいことはやりません」

銀蔵には勝負はするが勝算のない賭けはしないという信念がありました。そして、勝負に勝つために徹底的に勉強しており、彼の人生からもその姿勢をうかがうことができます。銀蔵は恐慌の煽りで経営していた鉄の圧延工場が倒産してから、資本主義の行方を研究するために図書館に通い詰めます。
そこで経済関連の本を読み漁り、初めて相場に立った時には百発百中の当たり屋として活躍します。しかし、太平洋戦争の兆しを感じ取ると日本の軍備増強に貢献するために朝鮮での鉱山開発に乗り出しました。地質学、鉱床学などの知識も全て図書館に通い、独学の末に会得したものです。
住友金属鉱山の株買い占めにおいての成功は、彼の鉱山についての確たる知識が土台となったものでした。新聞で菱刈金山に高品位金鉱脈を発見という記事を確認すると、翌日すぐに飛行機で現地へ向かい金脈が四国の四万十川から九州の南端まで続いていると確信しました。
専門家はボーリングで打ち込まれた2ヶ所が偶然高品位の部分に当たっただけだと否定的な意見を示していましたが、銀蔵は自らの知識と朝鮮での鉱山開発の経験を信じ、その結果200億円という富を築きました。
彼の投資は徹底した調査と分析に基いて行われており、株の銘柄選びも確たる見通しをもって行われていたことが自伝で明らかになっています。その投資判断の基礎となる知識や経験は、新しいことに取り組む際にすべてゼロから習得しています。相場師という博打なイメージとは正反対の、驚異的な勤勉さと向上心を持った人物だったと言えます。

名言3

「私はつねづね、人の不幸に乗じてカネを儲けたくない、そう思ってきた。」

この言葉は、自らの信念を貫いた是川銀蔵の人生観があらわれた言葉です。有名な住友金属鉱山の株の買い占めでは、途中で銀蔵の信念が垣間見える駆け引きが行われたと言います。鉱山に金脈があると考えた彼は、住友に鉱区の鉱業権を5億円で買い取るように進言します。しかし住友は所有者の経済的窮地を知っていたため、3千万で買い落とそうとしていました。
ここで彼は相手が窮地につけこんで価値あるものを買い叩く真似は止せと話したそうです。これから大事業をしようという時にそんな精神では成功しない、相手が困っているなら高値で買ってあげなさいと、自身が5億円で鉱業権を購入しました。
また、彼は大手ミシンメーカーのリッカーが倒産する前にも、証券会社から材料を空売りして儲けてはどうかと提案されています。戦術的には銀蔵の得意とするやり方でしたが、弱っているものにトドメを刺すやり方はしないときっぱりと断ったそうです。
1979年には私財14億円を投げ打って是川奨学財団を設立し、恵まれない多くの子どもたちを助けています。投資家にしては珍しく質素倹約を貫き、一切の無駄遣いをすることはありませんでした。なりふり構わず儲かればいいという相場師ではなく、いかなる場合でも天下の正道を貫く信念を持っていました。
人間は金の奴隷ではないという投資哲学のもと正々堂々たる勝負をくりかえし、最後は一銭も残さずきれいさっぱり裸になりました。大志と無私を併せ持った見事な男の生きざまと言えるでしょう。

おわりに

是川銀蔵の波乱に満ちた生涯を通じて、驚異的な勤勉さと向上心を持ち合わせたベンチャーな人物だということが分かります。何度もゼロから知識や経験を習得し、いかなる場合も天下の正道を貫いた投資スタイルは見事です。
晩年は私財を投げ打って恵まれない子どもたちのための財団を設立し、株で儲けたお金は一銭も残っていないといいます。勝負師としての男の生きざまは我々に多くの教訓を示してくれています。